名古屋市の旧市街のほぼ中央部に熱田区があります。熱田神宮の門前町として、東海道五十三次の1つ、宮宿としても、栄えました。

ここに1900年以上前から、熱田神宮が存在しています。もともとはもっと大きなエリアを占めていたかも知れませんが、現在でも熱田区の中で存在感がある広さです。

近くには交通の要所の七里の渡しがあり、そして、当時は岬の先端の非常に目立つ場所に位置していた感じです。
また周辺には、今日でも色々な神社仏閣、古墳、公園などが点在し、歴史や由緒を感じさせます。

実はこの熱田神宮には、たくさんの謎があるのです。

調べ始めたら、その厖大な背景に、すべて書いていたらサイト1つが出来てしまうという、めまいを感じました。しかし、ここは観光案内を主体としたサイトですから、ほどほどに謎に触れていきますね。

知られざるパワースポットや、いわゆる都市伝説の種明かしなど、お楽しみ下さい。

1900年の歴史

平成25年(西暦2013年)に草薙の剣を祀って1900年になったのを記念して設置された、縁起を書いた看板が並んでいます。

草薙の剣の熱田神宮

熱田神宮と言えば、三種の神器の1つ草薙剣(くさなぎのつるぎ)をご神体にしている神社として有名です。

草薙剣は、別名、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と言い、ご存じ八岐大蛇(やまたのおろち)を日本武尊(やまとたけるのみこと)が退治した時に出てきた剣ですね。

三種の神器は、鏡、玉、剣の3つであり、鏡の八咫鏡(やたのかがみ)は伊勢神宮にあり、玉の八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は皇居に保管され、そして、剣の草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)が、ここ、熱田神宮にあります。

ですから、もっとも格式が高い伊勢神宮のその次ぐらいに格式が高い神社とも言われたりします。
現在では、神社本庁の別表神社の1つ。社格制度は現在では廃止されていますが、別表神社は特別な神社と言うような意味です。もちろん、神宮という名称は特別なものです。

草薙の剣とは

草薙の剣は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が正式名称です。須佐之男命(すさのうのみこと)、日本書紀では、素盞嗚尊(すさのおのみこと)と表記が、退治した八岐大蛇の体内 から出てきました。剣

所持していた十束剣(とつかのつるぎ)で、大蛇を切り刻んだとき、刃が欠けたので不思議に思って探したら、出てきたということです。

八岐大蛇は氾濫する川のことを表しているという説がありますが、この天叢雲剣がある所には、嵐が起こるのです。ですから、天叢雲剣なのですが、なぜ氾濫するのかと言う事を考えると、精錬のために山の木を切りすぎたということも考えられます。

つまり、十束剣が当たって欠けると言う事は、選りすぐれた強度のある鋼製である可能性がありますよね。つまり、大きな犠牲を払って、優れた製錬技術を手に入れたというようなことなのかも知れません。

八岐大蛇を退治するときも、八回醸した酒(八回蒸留した酒?)を用いるわけです。当時、蒸留技術があった事が分かりますが、これは精錬技術にも通じるもので、八回も蒸留する技術を用いて、優れた剣の鋼を手に入れたとも読めます。もちろん、諸説あります。

日本武尊が東方の蛮族の平定の役目を与えられたときに、伊勢で倭姫命(やまとひめのみこと・霊力を持った巫女で伯母)より、この草薙の剣を受け取ります。当時は鏡と共に伊勢に祀られていました。

では、この草薙の剣の実物はどのようなものなのでしょうか。

壇ノ浦の戦いで海の底に沈んだとか、浜に打ち上げられたとか、それは形代(かたしろ・分身)で始めから皇居にあるとか、諸説がありますので、本当に熱田神宮にあるのかという謎もありますが、剣を巡る様々な史実もあり、少なくとも何かはあります。

史実では二本の草薙の剣が確認されています。

しかし、神話(古事記や日本書紀)では、日本武尊は宮簀媛命にこの剣を託しているのですから、始めから熱田神宮にあるものが本物で、壇ノ浦で平家とともに沈んだとされているのは、皇居にあった形代(かたしろ)であると思われます。

ちなみに形代と言うのは、レプリカとは違い、祈りなど特別な方法で作ったもので、それ自体も実は本物です。

誰も見ることが許されない剣ですが、それでも見たくなるのは人の常で、江戸時代の神官が見て、目がつぶれたとかの話も伝わっています。記録に残っている目撃談として、長さは80数センチ程度の白い刀で、刃先が菖蒲の葉の形状、柄は魚の骨のようにごつごつしていると言う話が伝わっています。

白い刀と言う事ですので、銅剣ではないですね。鋼製の剣のようです(一説には白銅)。まさか、プラチナやステンレスではないでしょうからね。

熱田大神とは

この熱田神宮では、熱田大神(あつたおおかみ)をお祀りしているとのことです。さて、この熱田大神とはどのような神様でしょうか。熱田大神とは

公式見解と思われる一般に言われることでは、草薙の剣をご神体にしている天照大神(あまてらすおおみかみ)のこととされます。

でも、不思議ですよね。天照大神は伊勢神宮で祀られていますが、ご神体は八咫鏡です。

もちろん、日本の最高神ですから、草薙の剣も天照大神の依り代(よりしろ)であっても良いわけですが、何かしっくりしません。そもそも熱田大神と名付けることも不思議です。

天照大神は、太陽神で、どちらかと言えば農耕の神様です。
剣は戦の神様ですよね。だから、織田信長は、桶狭間の戦いに向かう時、この熱田神宮に集合して、戦勝祈願をしているのです。

こう言うような議論もいろいろあって、日本武尊(やまとたけるのみこと)の事ではないかという説もあります。

名古屋市の外れの火上山(ひかみやま・現在の名古屋市緑区大高町火上山)に氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)があります。宮簀媛命(みやずひめのみこと)を祀ってある神社で、宮簀媛命は尾張の国造(くにのみやつこ・治めるもの)の娘であり、巫女であり、日本武尊の奥様又は恋人です。

火上山は熱田神宮に草薙の剣が祀られる前に、剣を祀っていた場所です。尾張の国造の屋敷跡(現在は火上姉子神社の奧の院)で、言わば熱田神宮の元宮みたいな所です。
神話では、日本武尊は、この地に草薙の剣を留め置いて(宮簀媛命に託して)、伊吹山の邪神を退治に出かけますが、邪神の毒気にやられ、旅の途中で死んでしまいます。

宮簀媛命は嘆き悲しみ、この剣を祀って、火上山に社を建てました。この草薙の剣がやがて熱田に移されるわけです。

この氷上姉子神社がある火上山は、突然火災が起こることがあり、火高火上(ほだかひかみ)と呼ばれていた所で、神社名も元は火上姉子神社でしたが、のちに縁起を担いで火上から氷上と改名されました。姉子というのは、未亡人のことです。

草薙の剣は、日本武尊が騙されて火に包まれた時に、この剣で草を薙いで、逆に向かい火を焚いて、九死に一生を得たと言う事で、草薙の剣と呼ばれます。この事件は現在の焼津あたりのことです。

そして、熱田の地の熱田は、倒木が燃えて、火が消えず、田も熱くなったことから、熱田と呼ばれるようになったという由来があります。

全部、火つながりです。火は戦の象徴。日本武尊のことと思えなくもありません。

元々、氷上姉子神社のある場所の火上山は尾張一族の本拠地で、熱田は、尾張一族の斎場(祀り場)でした。
熱田神宮の今の建築様式は伊勢と同じ神明造ですが、明治26年以前は尾張造り、氷上姉子神社も尾張造りですから、尾張一族が祀っていた太陽神であると言う説もあります。

色々な推測が可能で、宮簀媛命のことである可能性もありますよね。そういえば熱田神宮には、美人美肌になれるという、知る人ぞ知る場所(境内の清水社の泉)もあります。

熱田の杜

色々な謎を考えながら、1900年以上も建立されている三種の神器の神話の世界の熱田神宮をお参りし、散策しましょうか。

熱田神宮への入り口は、三カ所あります。東門、西門、そして、南の正門です。電車の熱田駅から向かうと自然に東門に入って行きますので、東から入る方が1番多いと思いますが、今回は南から参道を進んでみましょう。

参道は、旧参道と新参道があります。

熱田神宮境内図

お分かりでしょうか。境内図はクリックすると拡大します。図の下の方に正門があり、大きな鳥居があります。まっすぐ正殿に伸びている道が新参道です。

正門の鳥居

正門の鳥居(新参道)です。

旧参道

しかし、もう一本、この横を伸びている道があります。

いったんは、文化殿(宝物館)で途切れますが、さらに続き、土用殿のある位置まで伸びています。文化殿はのちに作られたもので、過去にはまっすぐに土用殿まで伸びていた事が分かりますよね。そして、その後ろには泉が湧く清水社もあります。

この土用殿がかつて草薙の剣が保管されていた場所です。草薙の剣を祀った神社であり、ご神体が草薙の剣であることがよく分かります。

熱田神宮の旧参道入り口

こちらが旧参道の入り口です。

南門(正門)の駐車場のあたりから、北に伸びています。鳥居もありませんし、今日ではあまり人も通りません。

 

熱田神宮の旧参道

旧参道を歩いてみると、ひっそりとして、都会の喧噪も忘れます。やや狭い道ですが、1000年以上参拝者がここを通ったと思うと、重みもありますね。

この参道がいつまで使われていたかは分かりませんが、尾張名所図絵の熱田大宮全図(1841年頃)や、その他の過去絵図に描かれている参道ですので、かなり最近まで使われていたと思います。

たしかに主要な神社として参拝者も多いので、旧参道では手狭なのは分かります。

しかし、どうして旧参道を拡張しなかったのかは不明です。旧参道は草薙の剣が安置された土用殿に伸びており、新参道は本宮にまっすぐ伸びています。このあたりの切り換えも興味深いところです(現在では草薙の剣は本宮にあると言われています)。

熱田神宮の新参道

こちらが現代の新参道です。旧参道の写真と比べてみれば、ずいぶん趣が違いますね。

旧参道と新参道を繋ぐ道

こちらは旧参道と新参道を繋ぐ道です。まったく分離された別の道というわけでもありません。

南新宮社

この旧参道には、数多くの境内社が面していますが、全部を紹介することは出来ませんので、主要な所や目立つ所だけ紹介していきます。

南新宮社

このような感じで旧参道に面している南新宮社です。熱田神宮唯一の朱塗りのお宮です。
祇園祭で有名な京都の八坂神社と同じ素盞嗚尊(すさのおのみこと)がお祀りされています。祭日は6月5日の南新宮社祭です。
熱田神宮のすべての境内社をお参りすると、全国すべてのお宮をお参りしたことと同じだという話もあります。

 清雪門

清雪門(せいせつもん)

このまま旧参道を進むと、すぐに 清雪門(せいせつもん)が見えてきます。

清雪門(せいせつもん)
こちらが有名な清雪門です。

天智天皇7年(668年)新羅の僧、道行によって草薙の剣が盗まれます。新羅というのは、朝鮮半島にあった国で、当時の倭国(日本)の同盟国であった百済を新羅が攻めようとしていたという時代背景があります。

熱田神宮の伝承では、盗むとき僧道行はこの門を通って外へ出たとされ、草薙の剣が神宮に戻ったときに、この門から中に入れ、その後、固く閉ざし、不開門(あかずのもん)と呼ばれるようになったと言う事です。

でも、この門の今の位置は少し変ですよね。当時は本宮の北門であって、ここに移築されたみたいなのですが、本宮、あるいは土用殿に北門があったのかどうかも定かでないし、移築の資料もありません。

位置関係から言えば、境内社の八剣宮の敷地の門のような感じです。古地図でもここに赤門ですが門があったようです。

八剣宮は後で紹介しますが、名前から言って、八岐大蛇の剣の宮ですよね。そうです、神話では、草薙の剣は八岐大蛇から出てきましたよね。では、当時、剣があったのは、本当は八剣宮? でも、八剣宮が建立されたのはこの時代の後です。謎は尽きません。

新参道から本宮へ

佐久間灯籠

佐久間灯籠(さくまとうろう)

旧参道が文化殿に突き当たる所、新参道との間に、佐久間灯籠があります。大きな石の灯籠で、寛永7年(1630)5月、武将の佐久間大膳亮勝之が海難にあったおり、熱田神宮に祈り、ことなきをえたのを感謝して寄進したものです。日本三大灯籠です。

文化殿(宝物館)

宝物館

こちらが宝物館です。 熱田神宮文化殿ともあります。どちらが正式名称なんでしょうか。

文化殿(宝物館)の横を折れて、新参道に向かいます。

熱田神宮

参道を行く神職の方々です。なんとなくそれらしいですよね。
向こうに見える、青いはっぴを着た方々は、ボランティアの観光ガイドの方です。いつもこの場所(宝物館の近くの参道の小さな詰め所)に居られますので、神宮の案内をして頂いてもよろしいと思います。

手水場

手水場

ここが御手洗(みたらい)場です。

この水は、境内からわき出る湧き水を使っており、その泉は、どんなに日照りの時も枯れたことがないということです。

向こうに見えるのが、大楠です。

空海手植えの楠木

大楠

熱田神宮には、7本の大きな楠木がありますが、こちらにあるものが1番有名な弘法大師のお手植えの樹齢千年以上の大楠です。

この大楠には、白蛇と黒蛇が住んでいるとされ、毎日卵がお供えされています。実際に、卵はなくなり、白蛇の写真を撮った方も居られるようです。

大楠

弘法大師の楠木の根元です。樹齢千年以上は納得できますね。

卵のお供え

このように卵がお供えされています。もし蛇を見ることが出来たら、金運が授かると言われていますので、訪れてみて下さいね。

熱田神宮参道

ここから、少し行けば、本宮です。写真の向こうに本宮の直近の鳥居が見えますね。

信長塀

信長塀

途中、参道は桶狭間の戦いで勝った織田信長が寄進した信長塀を通っています。

桶狭間の戦いは、僅か3000人の手勢で、今川吉元の大軍に奇襲を掛け、みごとに勝利する戦いです。実は信長は、そうとう綿密に作戦を練っていたのですが、唯一、運を天に任せた事があります。

信長は、雨音で進軍や突撃の音を隠し、突然の雨で混乱している今川兵を倒しました。

雨が降りそうだと言う水主(かこ・船頭のこと)の進言を受けて、奇襲の時間を決めていました。しかし、本当に豪雨がなければ、奇襲に気づかれ、失敗してしまったのかも知れません。

もちろん、熱田神宮のご神体の草薙の剣は、天叢雲剣であり、風雨を呼びます。そして、奇襲には当時の神宮を守る神兵も参加しました。神兵が参加することで雨が降ることも期待し、神の加護に賭けていた感じもあります。

こう言う背景を知れば、勝利を掴んだ信長が、熱田神宮に壮大な塀を寄進した理由がよく分かりますよね。

信長塀は、瓦と土を重ねた日本三大土塀の一つとして有名です。当時は400メートルあったと言う事ですが、現在では120メートルが残っています。当時は本宮あたりをぐるりと守っていたと思われます。

本宮周辺

本宮

 

熱田神宮

平成19年(西暦2007年)に本殿改修着工して、平成21年(西暦2009年)に、造営竣工しています。現在は新しいお宮になっています。草薙の剣を祀って1900年に合わせたものかも知れません。50年に一度、新しくするという話も聞いたことがあります。

 

熱田神宮本宮

熱田神宮のHPでは、御垣内、御殿内での撮影は御遠慮くださいとなっていますので、望遠で撮っていますが、本当はいけないことなのかも知れません。あまりに厳粛壮大で、思わず撮影してしまいました。

もちろん、神社での撮影はまずお祈りして、神様にことわるのですけど、いつも悩むのですよね。でも、とても感じの良い写真になっています。

祈祷殿

祈祷殿(結婚式場)

結婚式場としても使われる祈祷殿です。本殿の左にあります。
熱田神宮の結婚式場は、熱田神宮会館がありますが、こちらでも結婚式が行われています。周囲が総ガラス張りですので、巫女さんの神楽が見られます。

一之御前神社

この祈祷殿と、本宮の間に、一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)への参道があります。

影一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)

この奧、突き当たりに、一之御前神社があります。実はここは閉鎖されていた道です。一之御前神社は禁足地で、参拝は許されていませんでした。言わば、熱田神宮の最深部で最高聖地です。

2012年の12月ごろから、一般公開されているようです。観光用看板にここより先は熱田神宮における最も神聖な場所と言う説明があります。
あまりに神聖ですし、これより先は写真撮影禁止の表示がありましたので、写真は勘弁して下さい。そのうちにまた閉ざされてしまうのかも知れませんので、ぜひ早めにご参拝くださいね。

一之御前神社は熱田大神の荒魂(あらみたま)を祀ってあるそうです。別の説明では、天照大神の荒魂を祀ってあるとのことです。もちろん、公式見解では天照大神=熱田大神ですから、表記の違いだけです。

実は、瑞穂区と尾張旭市にも一之御前神社があります。豊明市沓掛町にも似た名前の一之御前社がありますが、何か関係があるのかは分かりません。

ただ、瑞穂区の神社は、関係があるようです。瑞穂区が出しているPDFによると、「祭神は天照大神の荒魂、大伴武日命、あるいは日本武尊の荒魂といわれ、画一ではない。「熱田神宮御遷宮記」に“所謂一御前者ハ実ニ日本武尊荒魂之霊也”とある」となっていますので、やはり日本武尊の荒魂かもしれません。

荒魂というのは、神様の荒々しい側面、つまり力を表します。別に和魂(にぎみたま)は恵みや優しさを表します。神様の2つの側面ですね。

一説によると、和魂は、さらに2つにわけられ、幸魂(さちみたま)と、奇魂(くしみたま)があるそうです。この4つは、実は同列で、一霊四魂説が唱えられたりしています。

アニメの犬夜叉の四魂の玉って、ここからアイデアを得ているのでしょうか。

地下防空壕

この一之御前神社の右の方に、地下へ続く道があり、固く鉄の扉で閉ざされています。

実はこれが熱田神宮の秘密の地下神殿、草薙の剣はここに隠されているというような都市伝説がありますが、もちろん違います。

戦時中に、ご神体を守るために作られた防空壕だそうです。一度も使っていないと言う話や、神剣を安置して数時間後に熱田神宮が被災したという話もあります。

まるで秘密の地下神殿とも見える感じですので、一度ごらんください。もしかするとそれが真実なのかも知れません。

神楽殿

本宮の右には、神楽殿があります。初宮参り・安産・厄除け・家内安全などのご祈祷をする所です。

神楽殿

こちらは建物の横から撮っています。神楽殿も新しくなっています。

神楽殿の巫女さん

神楽殿と巫女さんです。

巫女さんといえど、やはり若い女性ですので、ブログに載せるために顔が写らないようにして望遠で撮りましたが、何というか、とても神秘的な良い感じの写真になりました。

土用殿

土用殿

こちらが、草薙の剣を祀っていた土用殿です。正面から撮ることをはばかられたので、清水社へ向かう道から撮っています。神楽殿の奧、北側に位置します。神楽殿の右横を通っていくと見学に行けます。

この土用殿は空襲で焼けて、復元されたものです。

熱田神宮道しるべ

清水社

清水社

水をつかさどる罔象女神(みずはのめのかみ)を祀る末社の清水社(しみずしゃ)です。神楽殿の右の下のほうに道がありますので、下っていくと突き当たりです。

目を洗えば、目が良くなり、肌を洗えば、肌が美しくなると言われています。

この清水社には、楊貴妃の楊貴妃の石塔(五輪の塔)の一部といわれる石があり、伝説があります。

唐の時代、6代皇帝玄宗が日本を攻めようとしたとき、日本の神々が相談し、熱田大神が楊貴妃として生まれ、玄宗を思いとどまらせたとのことです。その後、この地に戻ってきたと言うすごい伝説です。

鎌倉末期に比叡山の僧が書いた渓嵐拾葉集に「蓬莱宮は熱田の社これなり、楊貴妃は今熱田明神これなり」と書かれていると言うことです。

さて、この清水社の裏に、お清水という泉と、その石塔の跡があります。

お清水

清水社

清水社の横の階段を降りていきます。

清水社

湧き水の中の苔むした石が、楊貴妃の石塔の一部という説があると書かれています。

清水社の泉

こちらが湧き水と、石塔の跡と言われる石です。この石に、三度、水を掛けて祈ると、願いが叶い、この水で三度顔を洗うと美しくなると言われています。

それにしても、こんな都会のど真ん中に湧き水が湧いているのも不思議です。不思議ですが、実際に顔を洗うとニキビが治ったとか、肌荒れが治ったとかの話はよく言われていますね。

清水社の近くの楠木

さて、この清水社の直ぐそばにも、大楠があります。熱田神宮で二つ目に大きい楠木です。

清水社の大楠

清水社はパワースポットと言われますが、この大楠は知る人ぞ知るパワーを秘めているという事です。

ならずの梅

神楽殿の周辺に戻ります。

DSCN1371
神楽殿の横、授与所と信長塀の間くらいに、この梅の木があります。16世紀前半の亨禄古図にも書かれている不思議な梅です。八重の花が咲きますが、一度も実を付けたことがないそうです。開花は3月下旬頃だということです。

西楽所

西楽所

貞享3年、将軍綱吉の再建で神宮にあっては戦災で焼失していない数少ない歴史的建造物の一つです。かつて東楽所もありましたが、戦災で焼失しています。

5月1日の舞楽神事ではここで楽が奏され、5月8日の豊年祭にはおためし(田畠の模型)が飾られます。

南神池周辺

さて、本宮の参拝も済ませましたので、新参道を正門に向かって帰りましょう。来るときは旧参道を通り、文化殿(宝物館)に突き当たったところで、佐久間灯籠の所から、新参道に合流して、本宮に向かいました。

ちょうど警備詰所のある所ですね。この警備詰所では車椅子の貸し出しも行っていますので、ご入り用の方はどうぞ。

熱田神宮案内図

まだ通っていない新参道を正門に向かい、八剣宮を目指して行こうとおもいまうが、このあたりに、南神池がありますので、散策しましょうか。休憩所や茶屋ときしめん屋さんもあります。

休憩所へ

休憩所や宮きしめんへ向かう道です。

宮きしめん

境内にあるきしめんの老舗、宮きしめんのお店です。

南神池

南神池

南神池です。休憩所ときよめ茶屋の建物が池の畔にあります。

二十五丁橋

二十五丁橋

名古屋市最古の石橋です。

二十五丁橋

25枚の板石を並べた反り橋で、二十五丁橋と呼ばれます。西行法師もここで休んだと言われています。現在では通れません。

眼鏡之碑

眼鏡之碑

妙なものを見つけてしまいました。土偶の碑です。

遮光器土偶と言われるものです。全国至る所から出土し、その不思議な風体から、古代の日本に来た宇宙人、あるいはロボットでは無いかと言われたりしているものです。これは何かに係わる古代の神話の秘密の、、、と言うわけではありません。

よく見ると眼鏡之碑と書いてあります。これは、名古屋眼鏡商業協同組合と眼鏡碑顕彰会が、眼鏡を付けた土偶として奉納したと言う事だそうです。昭和五十七年と言う事ですから、そんなに古くはないですね。

それにしても、この土偶は、眼鏡を付けているという結論で良いのでしょうか。

別宮八剣宮周辺

さて、新参道を正門のところまで戻ると、八剣宮の境内があります。参道の入り口のほとんど脇です。

独立した鳥居と、手水場があります。

八剣宮

八剣宮

八剣宮も新しくなっています。

手前にある椿は、太郎庵椿で樹齢300年になります。八剣宮

少し近づいて、斜め横から撮影させて頂きました。やや小さいながら、厳かな神社です。

和銅元年(708年)に元明天皇の勅命により、新しく神剣を作って奉納し、その宝剣を収めるために創建されたのが、この八剣宮です。八剣宮は武門の信仰が篤く、織田信長、徳川綱吉等により社殿の修造造営が行われて来たそうです。

別宮と言うのは、本宮の別れとして祀られているもので、同じような社格です。神殿などの配置も本宮とほとんど同じと言う事です。

新しく神剣を作ったと言う事ですが、それはどのような神剣でしょうか。もしかしたら、草薙の剣の形代ではなかったのでしょうか。

上知我麻神社

同じ境内に鎮座しているのが、摂社の上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)です。

上知我麻神社

熱田の地主神とされています。知恵の文殊様信仰が有名で、知恵の神様とされます。

この両脇、右に大国主社(おおくにぬししゃ・大黒様)、左に事代主社(ことしろぬししゃ・恵比須様)がお祀りされています。毎年1月5日に、この両社の祭「初えびす」があり、商売繁盛、家内安全を願う人々で大変な賑わいがあります。

熱田神宮観光案内

主祭神
熱田大神 (あつたのおおかみ)

相殿神
天照大神 (あまてらすおおみかみ)
素盞嗚尊 (すさのおのみこと)
日本武尊 (やまとたけるのみこと)
宮簀媛命 (みやすひめのみこと)
建稲種命 (たけいなだねのみこと)

〒456-8585
愛知県名古屋市熱田区神宮1−1−1 → 地図 → HP
TEL 052-671-4151(月~日 8:30~16:30)

参拝は、一部の区画(一之御前神社等)を除いて、24時間出来ます。

駐車場無料

東門駐車場、約300台
西門駐車場、約40台
南門駐車場、約60台

※12/31夜~1/5並びに6/5(熱田まつり)は使用できません。また、祭礼のある日は駐められない場合もあります。

※車椅子の無料貸出は、境内のほぼ中央の警備詰所で行っています。西門駐車場が一番近いと思います。

祭礼

例祭(熱田まつり)、6月5日
まきわら、花火などもあります。

その他、祭礼は多数、HPを確認下さい。→ 祭礼・神事

祈祷

8時30分~16時
祈祷料は6000円~

宝物館

入館、大人300円、小中学150円
9時30分~4時30分まで(入場は4時10分まで)

休館日 毎週最終水曜日とその翌日、及び12月25日~31日

宿泊

宿泊は → 名古屋市内の宿へ