乙女ヶ池

琵琶湖の大溝地域は、「大溝の水辺景観」として、約1384.1ヘクタールが重要文化的景観に選定されています。
その中でも、万葉集では香取の海として登場する、歴史的にも重要な内湖の「乙女ヶ池」は、面積8.6ha、平均水深1.6mの池で、その景観美も相まって、琵琶湖の代表的な水辺風景として、いつも写真などが紹介されています。

そんな乙女ヶ池を散策してみましょう。白鬚神社の近くですので、一緒に見学・参拝されるとよろしいかも知れません。

乙女ヶ池駐車場

乙女ヶ池の駐車場は、入り口近くの道路の路肩部分の10台程度です。釣り人も駐めていますが、空きはあると思います。池の反対側にも10台分ぐらいのトイレ付きの駐車場があります。
偶に観光バスも立ち寄りますが、ここに駐めることはありませんが、路肩で観光客を降ろしますので、注意してください。

乙女ヶ池

乙女ヶへの入り口は、駐車場所の道路を挟んで反対側です。
右に社がありますが、日吉神社の御旅所(おたびしょ)です。祭事で、御神輿と屋台が地区内を巡幸しますが、その目的地的な所になります。
日吉神社はこの近くにある神社で、日吉大社が本宮だと思われます。乙女ヶ池

造形された見取図がありました。

乙女ヶ池

ここの入り口から入っていきますと、ちょうど乙女ヶ池の景観を形作っている橋(太鼓橋)にあたります。

乙女ヶ池

 

 

琵琶湖の大溝の水辺景観の紹介写真によく出てくるのは、この太鼓橋です。

乙女ヶ池

渡って行きましょう。

乙女ヶ池

渡りきると、池の反対側に銘板がありました。

乙女ヶ池

この内海は、天平宝字(てんぴょうほうじ)八年(七六四)「恵美押勝(えみのおしかつ)の乱」の戦場となり、敗れた押勝(藤原仲麻呂)とその一族郎党が捕らえられて処刑された「勝野の鬼江(かつののおにえ)」はこの地と推定されている。又、背後の山中には「壬申(じんしん)の乱(六七二)」の際、近江朝(大友皇子軍)の基地であった「三尾(みお)城」の存在が考えられるなど、日本の古代史上の二大戦乱の場となった所である。
またこの水域は、古代、びわ湖舟運に欠くことのできない天然の良津であった。今も近くに続く勝野・三尾(水尾:みお)崎・真長浦(まながうら)・香取浦(かとりがうら)が歌枕として『万葉集』に詠まれている。
中世の戦乱期には、当地の武将たちはこの山中に城や砦を築いて領国の護り(まもり)とした。
近世に入ると、軍事上この地を重視した織田信長は、甥の信澄に大溝城を築かせて城主として配した。ここは又、びわ湖に通じる大溝城の外濠としての務めを果たしたのである。
昔は「洞海(どうかい)」と呼んでいたが、昭和初期、淡水真珠の養殖場として利用された頃から「乙女ヶ池」と呼ぶようになった。
この池は、県有施設として平成三年度から平成五年度の三カ年で水景整備され、釣りを楽しむ人や、歴史とロマンを求めてここを訪ねる人が多い。

平成九年三月 高島町観光協会

つまり、要約しますと、今は琵琶湖と細く繋がっている内湖ですが、過去は琵琶湖に大きく開かれた入り江になっていて、万葉集にも歌われた、良港や交通の要所でした。
ですから、戦略地点でもあり、様々な歴史的な戦争や事件が起きたようです。
そして、いろいろあって、淡水真珠の養殖場になった頃から、乙女ヶ池と呼ばれるようになったそうです。そして、今は釣りのメッカや観光地になっているということですね。

今回、訪れ無かったのですが、近くというか、歩いて行ける池の畔に大溝城の跡があるようです。この銘板の地図にも載っていますね。
この銘板から見て、左へ行けばよいようです。また、右へ行くと、乙女ヶ池の小さな駐車場とトイレがあります。

乙女ヶ池

 

こちら側から見た乙女ヶ池と橋(太鼓橋)です。

乙女ヶ池

乙女ヶ池

乙女ヶ池

少し望遠して見ました。

乙女ヶ池

外来種の回収いけすがありました。
ブラックバスの釣り場としても有名だそうですが、琵琶湖の魚を外来魚から守るために回収しているようです。

乙女ヶ池

乙女ヶ池

乙女ヶ池

橋と歴史の重みがなければ、普通の池ですね。しかし、休憩ついでに訪れると、感じが良くて、とてもよろしいと思いますね。

乙女ヶ池の観光案内

乙女ヶ池 → WEBサイト(観光協会)
滋賀県高島市勝野3061-1
問合せ:びわ湖高島観光協会
TEL:0740-33-7101
FAX:0740-33-7105

駐車場無料、池の東西2カ所、合計20台程度。

宿泊案内

湖西・高島・マキノの周辺の宿へ。最も近いのは、恵美寿荘

又は、大津・雄琴・草津・栗東の周辺の宿へ。