花窟神社

花窟神社(はなのいわやじんじゃ:花の窟神社)は日本書紀に記されている日本最古の神社です。
巨石をご神体として祀っています。

黄泉の国の支配者になった伊弉冉尊(いざなみのみこと:伊耶那美命とも表記)を祀った神社で、御陵(ごりょう)でもあります。
紀伊国の熊野の有馬村に葬り祀るということで、神殿もなく、人々が守り続けて来た神社です。
ただし、神社として正式になったのは、明治時代からと言う事で、御陵でした。
花窟と言うのは、地元の方々が季節の花をお供えしていたからです。

何やら穏やかならぬものも感じますが、それだけパワーが詰まっているとも言えますので、行ってきましょう。

花の窟神社の参拝

花窟神社

鳥居があります。
石の鳥居ですが、おそらく近年に建てられたものでしょう。

花窟神社

手水場の横に大きな岩があります。
ご神体「花の窟」から転がり落ちてきた霊石らしいです。
初代宮司さんが、ここまで転がして運んで来たということなので、元々丸かったということでしょうか。

皆さん、手を触れていらっしゃいました。念じると良いことがあるそうです。

花窟神社

ご神体の花窟です。
高さ45メートルと言う事です。

ご神体

神倉神社のご神体のごとびき岩が陽石、花窟神社のご神体が陰石で一対をなして、熊野の聖地とも言われます。

花窟神社

あちらにあるのが、伊弉冉尊を祀ってる墓所です。
何か、おっかなびっくり撮っているようですが、予備知識があまり無く訪れて、大きな岩壁に圧倒されて、あまり写真が撮れていないのです。
撮ったような記憶が曖昧で、撮るのをはばかったのかもしれませんし、要するに探しても良いのが無かったということになります。
(神社系の場合、撮ったつもりになっていて撮ってなかった、あるいは撮ったはずだけど、探してもないと言う事が私は良くあります。)

神社の説明では、日本書紀に「一書曰伊弉冉尊火神(いざなみのみこと)を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり)ましぬ 故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる 土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには 花の時に花を以って祭る 又鼓 吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る」と書かれているそうです。

つまり、「伊弉冉尊は、火の神を生むときに、火傷を負って、死んでしまった。紀伊国の熊野の有馬村に葬った。祭るときは季節の花で祭る、鼓、笛、旗を用いて歌って舞って祭る。」と書かれていると言うことです。

ここには神話の世界が息づいています。

花窟神社

こちらも撮れてないのですが、左に少し見えるのが、軻遇突智尊(かぐつちのみこと)の墓所です。向こうが伊弉冉尊の墓所です。
軻遇突智尊は火の神です。
焼かれて伊弉冉尊が亡くなった事に激怒した伊弉諾尊(いざなぎのみこと)によって、十束剣(とつかのつるぎ)で殺された、伊弉冉尊の子です。

一書曰伊弉冉尊火神(いざなみのみこと)を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり) ましぬ 故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる 土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには 花の時に花を以って祭る 又鼓 吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る

 

不思議な綱が架けてあります。

花窟神社例祭

 

花の窟神社のお綱かけ神事の綱みたいです。
垂れ下がっているのは、三神を意味する三流の幡(みながれのはた)ということです。

しかし、色々意味深い例祭ですね。

十束剣(とつかのつるぎ)

ご神体の大岩に雨や風などの浸食作用で無数の穴が空いています。
表の七里御浜で拾った白い石をお供えして、願掛けをする風習があったそうです。
現在は神様に不敬と言う事でしなくなっているそうです。この白い石はその名残でしょう。

七里御浜

こちらが花窟神社の前の七里御浜です。
お綱かけ神事では、この七里御浜から引っ張って境内へ綱を渡します
浜では可愛い巫女さん(おそらく地元の小学生)が舞います。

花窟神社(花の窟神社)の参拝案内

花窟神社 → WEBサイト
〒519-4325
三重県熊野市有馬町上地130

花の窟活性化地域協議会 → WEBサイト

熊野市観光協会 → WEBサイト
〒519-4324
三重県熊野市井戸町653-12
TEL:0597-89-0100(受付時間 9:00~17:00)

春季大祭 毎年2月2日

秋季大祭 毎年10月2日

駐車場は無料(茶屋 花の岩屋の所:道の駅になっています)
三重県側からでは、神社を通り過ぎてすぐ)

宿泊

熊野市及び周辺の宿へ。または和歌山側の熊野古道エリアの宿へ。
熊野の宿 海ひかりは参拝時に利用しましたが、よろしかったです。